2003年4月17日木曜日

〔再録〕ネオコン:戦略家であり同時に哲学者

これはとてもよく書けているルモンド解説記事。お勉強用:


2003.4.17

ブッシュ政権に重大な影響力を持つ新保守主義者(ネオコン)についての詳細な分析と解説です。彼等が恐ろしいほどの手強い存在である事がわかります。文化相対主義とポリティカリー・コレクトを否定する事から出発し、己の民主主義を守るためには外国のおぞましい政治体制は破壊しなければならないという確信に繋がっていくのです。梅原猛流の縄文的文化相対主義が風靡する日本の文化も、このままではポアされてしまうかも知れない。

Le stratège et le philosophe  (2003.4.16)

戦略家であり同時に哲学者

アメリカの大統領の政策選定にキリスト教原理主義者達と並び重要な役割を演じているネオ・コンサーヴァティヴズ(ネオコン)とはどういう人たちなのか? そして彼等の教祖は、アルバート・ウォールステッターなのか、レオ・ストラウスなのか?

真面目な賞賛を込めた口調でブッシュ大統領はこういった:「君達はまさに我が国の最高の頭脳である。だから私の政府は君たちのうち約20人を採用する事にする」と。これは2月26日にワシントンのアメリカン・エンタープライズ・インスティチュート(AEI)で大統領がした演説である(ルモンド3月20日)。ブッシュはこの言葉でアメリカの新保守主義勢力の牙城であるシンクタンクに敬意を払った。かれは現政権を特徴付ける思想の学校に脱帽し、現在主流を形成しているこの知的潮流にブッシュは大いに依存していると表明したのである。自分の周辺をネオコンで固めており彼の政策選定にはネオコンが重要な役割を果たしている事をブッシュは認めたのである。

遡って1960年代の最初、ジョン・F・ケネディーはハーバード大学を中心に中道左翼の学者達を採用し、デイヴィッド・ハルバースタムが表現したような「ベスト・アンド・ブライテスト」から選りすぐった教授達で周辺を固めた。ジョージ・W・ブッシュ大統領の場合は(逆に)1960年代から主流であったこの社会民主主義者達の中道コンセンサス主義に激しく抵抗した人たち(ネオコン)と共に政治を行おうとしている。

ネオコンとはどういう人たちか? どういう歴史があるのか? 誰が思想的教祖となっているのか? ブッシュの周りのネオコンの知的源流はどこにあるのか?

ネココンと同じくブッシュの取り巻きにいるキリスト教原理主義者達と混同してはならない。ネオコン達は、現在共和党内部で力を付けつつあるアメリカ南部「バイブルベルト」のプロテスタント教条主義者達とは全く別物である。ネオコン達はほとんどが東部出身や一部にはカリフォルニア出身者達で占められる。彼等は一見「知的」な風貌で、多くはニューヨーカーで、また多くはユダヤ系であり、元はと言えば左翼出身者である。あるもの達は未だに民主党支持者だと自称している。彼等はバイブルじゃなくって文学雑誌や政治雑誌を読む人たちである。南部のテレビ説教師のようなダークブルーのダブルスーツではなくツイード・ジャケットを着る人たちである。社会道徳においてはほとんどの場合リベラルな考え方を表明する人たちである。彼等の目的は中絶を禁止したり学校で礼拝を強制する事にはない。彼等の野望は別のところにある。

ピエール・ハスナーの説明によれば、ブッシュ政権の特徴はこの二つの潮流(キリスト教原理主義とネオコン)を結合したところにあるという。ブッシュはネオコンとキリスト教原理主義のそれぞれを生かす形で共存させたのである。後者の代表はジョン・アシュクロフト司法長官などであり、前者の代表はいま主役の国防副長官ポール・ウォルフォヴィッツである。ジョージ・W・ブッシュは、選挙運動中は中道右派の立場で明確には政治的立場をはっきりさせずにいたが、ウォルフォヴィッツとアッシュクロフト、新保守主義者とキリスト教教条主義者という全く別の世界に住む人々を結合させる事でびっくりするようなイデオロギー的カクテルを作り出した。

アッシュクロフトは、南カロライナのボブ・ジョーンズ大学という学問的にはあまり知られていないがプロテスタントの原理主義の牙城の大学で教鞭を執っていた。反ユダヤ主義の色彩を帯びた発言で知られる学校である。一方、ウォルフォヴィッツはユダヤ人で、教職者の家庭で育ち、東部の名門大学の優等生であり、1960年代には名門大学二つで教授の職にあった。アラン・ブルームは哲学者であり、数学の教授であり、軍事戦略の専門家である。この二つのキーワードは重要である。ネオコン達は、戦略と哲学という二つの守護神の庇護の元にあるのだ。

ネオコン(新保守主義)と名前が付いているが、「保守」とは変な名付け方であり、ネオコンは既存の秩序を保守しようという人々とも全く違った人たちである。彼等はヨーロッパで言う保守主義の特徴をほとんどすべて否定する。『歴史の終焉』の著者で保守主義者の一人であるフランシス・フクヤマは「新保守主義者(ネオコン)はヒエラルキーや伝統に基づくすべての秩序を守ろうとしない、人間の自然的な傾向については悲観主義的立場を取る人たちである」と断定した(ウォールストリートジャーナル、2000.12.24)。

理想主義者で楽観主義者であり、アメリカの民主主義モデルが普遍的な価値を持つと信じており、軟弱なコンセンサスに基づく現状(ステイタス・クワオ)に終止符を打ちたいと願っている人たちだ。かれらは物事を変化させる政治政策を信じている。国内政策では歴代民主党政権(ケネディー、ジョンソン)とニクソン共和党政権が作り上げた「福祉国家」は社会問題の解決にほとんど役に立たなかったとする批判の理論付けをした。外交政策では1970年代のデタントは西側よりもソ連を利しただけであったと否定した。60年代を総括批判し、ヘンリー・キッシンジャーの現実主義外交に反対する。彼等はアンティ・エスタブリッシュメントなのである。アービング・クリストールと雑誌「コメンタリー」の創設者ノーマン・ポドホレツは、二人ともニューヨーク生まれのネオコンの名付け親だが、左翼出身である。彼等はソヴィエット共産主義を左の立場から批判するぐらいの真性左翼である。

『マルクスでもなくキリストでもなく』(1970)でジャン=フランソワ・レヴェルは60年代のアメリカは社会革命の大騒ぎの中に在ったと書いた。かれは今日のネオコンは1960年代の騒ぎの揺り戻しと見ている。まず国内政策において、ネオコンはレオ・ストラウスに倣って60年代のモラルであった文化相対主義を批判する。ネオコンは文化相対主義が80年代の「ポリティカリー・コレクト」に行き着いたと見ているのだ。

戦列に加わっているもう一人の席順の高いインテリはシカゴ大学のアラン・ブルームだ。彼の事については友人のサウル・ベローが『ラヴェルスタイン』という小説を書いている。1987年『アメリカン・マインドの終焉』でブルームは大学人達を誰かと無く一刀両断に切って捨てた。「何でもかんでも文化となってしまった。麻薬も文化だし、ロックも文化だ。町のギャングですら文化だ。それに続いて一切の差別を否定するという事も文化になってしまった。文化を否定する事が文化になってしまったのだ」と彼は書いた。

ブルームは、彼の先生であるストラウスと同様、古典の偉大な解説者である。「1960年代の風潮が西欧文化それ自体への軽蔑につながってきた」と彼は考えるとジャン=フランソワ・レヴェルは説明する。「ポリティカリー・コレクトの名の下にすべての文化は同等に価値を持つという事になったが、学生や教授達は自由を抑圧する非西欧文化は完全に善いものとして受け入れるくせに西欧文化に対しては非常に厳しい態度を取りその優位性を全く認めようとはしない」とブルームは疑問を投げかける。

「ポリティカリー・コレクト」が君臨するように見える中で、ネオコンは着実に点数を上げてきた。ブルームの本は巨大な成功を収めた。外交政策において、真性ネオコン・スクールが形成されるようになった。ネトワークが張り巡らされた。1970年代、ワシントン州選出のヘンリー・ジャクソン上院議員(民主党)は核軍縮協定を批判した(1983年没)。それから戦略論に夢中になる若い世代が形成された。リチャード・パールとウィリアム・クリストフはアラン・ブルームの授業を受けた人たちである。

政府の内外でリチャード・パールはポール・ウォフォヴィッツと顔を合わせるようになり、二人は同じくデタントを攻撃するケネス・アデルマンや国務次官補のチャールズ・フェアバンクスの下で働くようになる。戦略論ではアルバート・ウォールステッターが師匠となった。ウォールステッターはランド研究所の研究員であり国防総省の顧問でもあったが、同時に美食家としても知られていた(1997年没)。かれはアメリカの核政策ドクトリンの生みの親である。

正確に言えば彼はいわゆる伝統的なドクトリンである相互確証破壊(MAD)の理論に対する疑問を最初に投げかけた人だ。このMAD理論は対立する二つのブロックがお互いに相手を破壊するだけの核を持てばそれぞれの指導者は自分から核を使う事が出来ないと言うものだが、ウォルヒステッターとその生徒達は、MADは一般国民を殺戮することを考えているため非道徳的であると同時に、核兵器を相互に無力化する事につながるので非効率的であると考える。合理的な政治家は、少なくともアメリカの大統領は「相互的な自殺」を決定する事はないというMAD理論に対して、ウォヒステッターは反対に「漸進的抑止」というものを提案する。これは限定的な戦争は認め、最終的には戦術的な核兵器の使用も認め、インテリジェンス兵器と精密兵器を使い敵の軍事力を正確に攻撃するというものだ。

彼はモスクワとの核兵器制限協定政策を批判した。彼は、これはアメリカの技術的創造性を阻害するものであり、ソ連と人工的な軍事均衡を維持するものだとする。

ロナルド・レーガンは彼等の言葉に耳を貸すようになり「スター・ウォー」と名付けられた戦略防衛システム(SDI)を推進する事となる。彼の弟子達は、ABM条約はアメリカの防衛兵器開発を妨げるだけであるとして、その一方的廃棄を熱心に主張した。彼等はジョージ・W・ブッシュを信じ込ませるのに成功した。

パールとウォルフォヴィッツはその過程でエリオット・アブラムズとも知り合うようになる。アブラムズは今日ホワイトハウス国家安全委員会の中東担当責任者である。また国防副長官のダグラス・フェイスとも知り合う。彼等全員、イスラエル政府のやる事は、その政権の如何にかかわらず、すべて良しとして無条件に支持する人たちである。この完璧な支持が、彼等がアリエル・シャロンの後ろに眉ひとつ動かさずにくっついて行く理由を説明している。ロナルド・レーガンの二つの政権下において(1981,1985年)彼等のうちの多くが政府においてはじめて責任ある地位についた。

ワシントンにおいてネオコン達は着々と彼等の住処を築いていった。創造性は彼等の側にあった。やがて何年かの後にはネオコン達は、中道派や中道左派を隅っこに追いやり、自分たちが中心的勢力をしめるようになり、彼等の考え方が政治を決定するようになる。雑誌の「ナショナル・レビュー」「コメンタリー」、ストラウス門徒のアンドリュー・スリヴァンが率いる「ザ・ニュー・リパブリカン」、マードック・グループに属する「ウィークリー・スタンダード」などが影響力を持つようになる。一方でフォックス・テレビ・ニュースはネオコンの考え方を分かり易い形で大衆に広める役割を果たしている。ウォールストリート・ジャーナル紙の社説はロバート・バートレイが牛耳っているが、恥も外聞もなくネオコンのミリタリズムを吹聴するようになった。シンクタンクではハドソン研究所、ヘリテージ財団、アメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)などもそうだ。ネオコン達の家族も同じだ。アービング・クリストールの息子ウィリアム・クリストールはとても都会的な人間で雑誌「ウィークリー・スタンダード」の編集長をしているし、ノーマン・ポドホレッツの息子はレーガン政権の要職にあった。ポーランド系ユダヤ人で1939年にアメリカに移住してきたハーバード大学教授でソヴィエット共産主義の一番の批判者であるリチャード・パイプスの息子ダニエル・パイプスは、イスラム主義を西欧の脅威となる新たな全体主義であると弾劾している。

彼等は孤立主義者ではない。反対に彼等は一般的に幅広い教養の持ち主で外国についての深い知識を持っている。その国の言葉も往々にして完璧に話す。アメリカは自国の問題だけを考えればいいとする反動的ポピュリストのパトリック・ブキャナンとは全く違った人種である。

ネオコン達は国際主義者である。アメリカを世界に広めると言う確固たる行動主義者達である。ニクソンやジョージ・ブッシュ(父)などの古い共和党のやり方とは一線を画す。この古い共和党の考え方は「リアルポリティック」の効果を信頼し、アメリカが自国の国益を守るために同盟を結んでいる相手の国の体制はどういうものかには関心がないというものだった。キッシンジャーは彼等にとっては反面教師である。しかし彼等は民主党の伝統的な国際主義、すなわちウィルソン主義やジミー・カーターやビル・クリントンの国際主義も否定する。これらの国際主義は、彼等に言わせれば、天使のようにナイーブで、民主主義を広めるのに(役に立たない)国際機関に頼っているとされる。

戦略の次は彼等の哲学について述べる。アルバート・ウォヒステッターと1973年に死んだレオ・ストラウスの間には直接的な繋がりはない。少なくともネオコン主義が公式に出現するまではなかった。しかし、この二人の研究分野は根本的に違ったものであるにも拘わらず、ネオコン達のネットワークの中にはこの二人から影響を受けた連中が相当いるのである。

思想系統というか毛細管現象のようにと言うか、アラン・ブルーム、ポール・ウォルフォヴィッツ、ウィリアム・クリストール達の新保守主義の理論は、ストラウスの哲学が基本概念となっている。ストラウスは現実の政治問題や国際関係については一切書かなかった。ストラウスはギリシャ古典とキリスト教とユダヤ教とイスラム教の教典に関する膨大な博識で知られている人物である。彼は解説手法の優秀さで定評を得ている。「彼は古典哲学をドイツ的深遠さでもって哲学伝統の浅い国の人々に分かり易く解説する事に成功した」とジャン・クロード・カサノヴァは説明する。カサノヴァはレイモンド・アロンの弟子でアロンがアメリカに勉強に行くように薦めた人物である。アロンは戦前ストラウスとベルリンで出会いストラウスの熱心な信奉者となった。彼はピエール・ハスナーとかピエール・マネなどの自分の弟子達にもストラウスと会う事を薦めている。

レオ・ストラウスは1899年にヘッセ州のキルヒハンで生まれヒトラーが政権を取ると同時にドイツを離れた。パリに短期間滞在した後イギリスに移りそこからニューヨークに渡った。ニューヨークではニュースクール・オブ・ソーシャル・リサーチで教鞭を執り、その後シカゴで後のストラウス主義者のるつぼとなる社会思想委員会(コミッティー・オン・ソーシャル・ソート)を創設した。

ブッシュ政権にいるネオコン達のいくつかの思考原則をすべてレオ・ストラウスの教育のせいだと決めつけるのはやや単純で強引な解釈ではある。ネオコン達はストラウス派以外の伝統的学派にも根ざしているからだ。しかしそうは言ってもストラウスの思想が現在ワシントンでネオコン達が推し進める政策の下絵となっている事は事実である。このことからわかるが、ネオコン達は決して単純なタカ派ではない。ネオコンの土台には確固たる理論的基盤がある。異論を挟む余地はあるが、決して俗っぽいいい加減なものではない。ネオコンはレオ・ストラウスの二つの反省を合流させたものだ。

一つの反省はストラウスの個人的な体験に根ざしたものだ。ストラウスは若い頃、共産主義とナチズムに蹂躙されワイマール共和国が衰退する中で生活した。彼は民主主義というものは、もしそれが優しいもののままでいて、根元的に拡張主義を採る独裁制と力に訴えてでも対決する事をしないならば、決して定着しないと結論付けた。「ワイマール共和国は脆弱であった。ワイマール共和国は偉大ではあったがいかなる時点に於いても力を持たなかった。ユダヤ人の外務大臣ワルサー・ラスノーが1922年に暗殺され怒りを露わにしたが、結局彼等の正義は無力であった事、或いは力を行使できない正義である事を見せただけだった」とストラウスはスピノザの宗教批判についての本の序文に書いた。

もう一つの反省は、「歴史」に精通することの結果生まれた反省である。昔の人たちと同様我々現代人にとって、もっとも関心があるのは政治体制である。政治体制が人間の性格を決める。どうして20世紀に、二つの、貴族的なストラウスは「暴君制」と呼ぶ事を好むが、二つの全体主義体制が発生したのか。この問題は現代の知識人の頭を悩ます問題であるが、ストラウスによれば、それは近代化が道徳的価値を否定する事を呼び起こしたからであるとする。道徳的価値という美徳こそが民主主義の基盤となるべきものであり、それを否定することは「合理性」であり「文明」そのものであるところのヨーロッパ的な価値の否定に他ならないとする。

彼によればこの(ヨーロッパ的な価値の)否定の源泉は啓蒙主義にあったとする。啓蒙主義はほとんど必然的に歴史主義と文化相対主義の産物であり、すなわち優位にある「善」の存在を認めず、具体的で直接的で些細な善にのみを云々し、本当の善を計る規範としての達成しがたいような(巨大な)善を追求しようとしなかったとするのだ。

政治哲学的に翻訳すれば、この(文化)相対主義というのは60年代から70年代に大流行したアメリカとソ連は収斂するという理論に究極的には結びつくのだ。この理論はアメリカの民主主義とソ連の共産主義は道徳的に同じようなものであると見なすところまで行き着いたのである。ストラウスにとって見れば善い体制と悪い体制がある以上、政治的判断には善悪の判断が避けて通れず、善い体制は悪い体制から身を守る権利があり、またそれが義務でもあるという。これがすなわちジョージ・ブッシュの言う「悪の枢軸」理論であると直結させるのはいささか単純であるが、根元は同じである事は明白である。

この体制についての中心的観念が、彼の政治哲学の原型となっており、米国憲法史に興味があるストラウス派の学者達がそれを更に発展させてきた。ストラウス自身、大英帝国とウインストン・チャーチルを意志で行動する人と尊敬しているが、アメリカの民主主義が政治システムとしては一番悪くないもの(一番ましなもの)と考えていた。利益が体制の基本的な美徳に取り替わる傾向があるものの、人間性の開花には歴史上これ以上のものは無かったというのだ。

しかし、とりわけワルター・バーンズ、ハーヴェイ・マンスフィールド、ハリー・ジャファなどの彼の弟子達はアメリカの憲法主義派という学派を発展させた。彼等はアメリカの制度の中に優位理論の具現化という思想の実践、すなわち、ハリー・ジャファの言う聖書の教えの具現化を見いだしたのである。結局のところ宗教というものは市民的なもので、社会と制度を結びつける役割を果たすとする。この宗教への回帰はストラウスにとってはそれほど奇異なものではなかったが、ジョージ・ブランディエの表現を借りれば「この無神論者であるユダヤ人(ストラウス)は足跡がごちゃ混ぜにされる事を楽しんでいた」とのことだ。ストラウスは宗教は大衆の幻想を維持するための単なる道具であり、宗教がなければ秩序は維持されないと考えていたのだ。かわりに哲学者が批判的精神を堅持し、少数の選ばれた人間にだけ、美徳に基づいた精神的貴族にだけわかる暗号めいた言葉で、事を解説をするのだと考えていた。

「古代」を賞賛し、近代化の罠と進歩の幻想に反対したストラウスであるが、啓蒙主義の落とし子であるリベラルな民主主義(その真髄はアメリカの民主主義と思われるが)は弁護した。矛盾しているのか? 疑いなくそうだ。でもこの矛盾は自由主義の考えかたを持つ他の思想家(モンテスキューやトックヴィル)にも見られる矛盾である。リベラリズムを批判する事は、リベラリズムが相対主義に陥る危険がある以上(なんでも述べても良いものであれば真理の追究は価値を失う)、リベラリズムの生き残りのために絶対しなければならない事であるからだ。ストラウスにとっては善の相対主義は、その結果として、暴君政治に対処できない(負けてしまう)事につながるのである。

この民主主義と自由主義を積極的行動で守るということは、ネオコンの好きなテーマであり、彼等の政治的パンフレットに頻繁に顔を出す。政治体制の性格こそが世界の平和を守るために作られたどのような機構組織や協約よりもずっと重要であると考える。一番大きな脅威は民主主義というアメリカの価値を共有しない国家からもたらされるとする。その国家の体制を変化させ民主主義の価値に向けて進歩させることがアメリカの安全保障と平和を強化する最良の方法であるとするのだ。

この政治体制を重要視する事、好戦的民主主義の賞賛、宗教的なまでのアメリカの価値に対する賞賛、暴君政治に対する断固たる反対姿勢、これらはブッシュ政権を満たしているネオコン達を特徴付けるテーマであるが、これはストラウスの教えと、彼の弟子である「ストラウス主義者」達が適宜修正編集したストラウスの解釈から引き出されたものであるといえる。でも教祖とネオコンの相違点が一つある。ネオコン達はメシア的な救済という楽観主義に取り付かれているという事だ。昨日は日本とドイツ、明日は中近東に、やがて全世界に自由をもたらすというのだ。あたかも政治的な意志主義が人間の本性までも変えうると考えているかのように。これもまた幻想である。出来るだけの多くの人に民主主義をもたらす事はいい事だが、それは哲学者の仕事ではないのである。

一つ疑問が残る。どうしてこの最初は教祖のカリスマに依存して口伝で伝えられた難解な文章解釈の学問である「ストラウス主義」が大統領府の影響を及ぼすまで定着したのかという事だ。パリのレイモンド・アロン研究センターの所長ピエール・マネの推測では、アメリカのエリート大学ではこのレオ・ストラウスの学徒達は異端として大学を追放され、それで彼等は官庁やシンクタンクや新聞社で働くようになったのではないかという。これらの機関では他の機関に比較してストラウス主義者が目立って多い。

別の補完的な説明もある。冷戦後の知的空白期間において、このストラウス主義者やその流れをくむネオコン達は、その空白を埋めるのに一番準備が出来ていたと云う事だ。ベルリンの壁の崩壊は、レーガンのソ連に対する強行的政策がソ連の崩壊をもたらしたということで、彼等の理屈が当たっていたと示す事になった。2001年9月11日のテロは民主主義が各種の暴君体制の前では脆弱であると言う彼らの理論を裏付ける事となった。イラクの戦争で彼等はこれで「悪い」体制を転覆させる事は可能でありまた望ましいとの結論を引き出したいのに違いない。このような(ネオコンの)試みに対して、国際法に訴えでる事は一定の道徳的な正当性を持ちうるものだ。(しかし現在の)国際法は、新しい仕組みが出来るまでは、人を確信させる力と強制力に欠けている。

Alain Frachon et Daniel Vernet

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 16.04.03

2003年4月10日木曜日

バグダッド制圧で勢いずく「勝ち馬乗り主義」の愚

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2003.4.10

バグダッド市内が制圧されて、アメリカは勝ち誇り、日本に於いてもそれに同調して「やった、やった」と喜ぶ人たちもいる。識者という連中は「戦争すればたいへんな事になる」と物知り顔で言っていたが大したことはなかったではないか、バグダッド市民は現に喜んでいるではないかとその人達は言う。でもちょっと待って欲しい。事実たいへんな惨事は既に発生しているのであり、また本当にたいへんなのはこれからなのだから。

まず「たいへんな事にはならなかった」というけれど、今まででもう十分なたいへんな事態である。自分の国を守ろうとしただけの兵隊を含めれば数千人のイラク人が殺されており、多くの一般市民も悲惨な目にあっている。たいへんな事である。これ以上何が必要なのであろうか。町々は破壊され、病院は民間人の死傷者で埋まっている。復興には10兆円のお金がかかるとも言われている。誰が元通りに直すのか。

それ以上の大きな問題は「これから」である。シラクがずっと言ってたように「戦争に勝つのは簡単だが、その後どうする?」ということだ。イラクは今やタガがはずれてしまった桶みたいなもんでどうなるかわからない。サダムの「鉄の規律の強制」でようやく一つにまとまっていた国だったのだ。「恐怖政治」は悪いけれど「混乱」はもっと悲惨。既にして町は略奪やり放題らしい。シーア派とかクルド人もどう動くか未知数だ。中東はもともとそういうところと言えば見も蓋もないが、こういう国で民衆を「解放」し、「民主的な国」を建設するというのは全く簡単な事ではない。それを承知の上で「イラク国民の解放」とか「民主主義化」とか言っていたのだったら戦争正当化の方便と言われても仕方がないだろう。本当に民主的な政権を選挙で選べばイラク国民の多数を占めるシーア派のアヤトーラ(お坊さん)が国家元首に選ばれる。イラクのイラン化でありそれは困るだろう。アメリカはとにかくサダムさえ追い出せば満足でバース党や共和国防衛隊などの国内治安統制を担う強権システムは出来るだけそのまま残す腹とも聞く。だったら頭が変わっただけの「サダムなきサダム体制」ということで民衆にとっては以前とあまり変わりはないだろう。それで「解放」されたことになるのか。戦費は1000億ドルに上るという。イラクの石油生産量は最大限に見積もっても500万バーレルだ(現状200万バーレル)。国民を食わさねばならないし、全部アメリカが独り占めにしたところで、10年たっても戦費の元もとれない。詮合理的な戦争ではないのである。ツケは国連を経由して日本に回ってくる。

テレビでは米軍のバグダッド制圧を「笑顔で迎える」民衆の姿が放映された。でもこれを持ってこの戦争が正当化できるというのはあまりにも短絡的である。第一今朝見たところではせいぜい数百人だ。かりにこれが一部の市民じゃなく全員がそうだったとしても、開戦以来食料の輸入が止められていたからお腹がすいているし、とにかく爆弾が落ちてこなくなったことで素直にうれしいんだと思う。でも食料の輸入の停止や爆撃はアメリカがやっていた。民衆は「戦争が終わったので」喜んでいるのだと思う。またサダムに99%の信任投票をしたぐらいの国民だから、新たな権力者に迎合しているだけかもしれない。本心はどうか全くわからない。

日本でも同じことが見られた。広島長崎に原爆落とされていても、また東京大空襲で一晩で10万人殺されていても、マッカーサーが來たら仕方なく従った。「解放された」という前提で生きるしかなかった。散人は別に「ウヨク」じゃないし、新しい前提で育った人間だけれど、そのへんの屈折した思いはまだ残っている。だからイラクの戦争を見るとどうしても日本の終戦直後にダブらせてしまうので嫌な気持ちにさせられる。アメリカのネオ・コンはあれだけ強く抵抗した日本でも占領してしまったら国民はアメリカの言う事を聞いた。だからイラクでも大丈夫だと言ったらしいけど、正直不愉快で腹が立つ。日本の場合、この「屈折した屈辱感」を戦後の復興と経済成長に邁進する事でポジティブなものに昇華させることが出来たけれど、イラクの場合はどうだろう。あまり経済成長を期待できる環境にないし、サダムの時代は農地解放や石油の国有化で結構いい暮らしが出来ていたから今更それほど生活程度の改善は期待できないし、侵略者に対するネガティブな恨みとしてずっと残るんじゃないだろうか。外のアラブ世界では嫌米感が渦巻いて盛り上がっている。アフガンではまたタリバンが現れて外国人を殺し始めている。欧州でもアメリカの評判は地に落ちた。これだけ短期間の間に烈しくアメリカのイメージを失墜させた大統領は珍しい。

日本で米英軍のイラク侵攻を「よくやった」と見る人は、無意識に同じことを米軍が北朝鮮でやってくれないかと期待しているのかもしれない。でも本当に「予防的措置」として米軍が北朝鮮に「乗り込むか」といえば(彼等が侵略戦争を始めれば別だが)あり得ないのではないか。イスラエルとは関係ないし、石油もない。また米国は中国との関係を壊したくない。第一韓国が承知しない。だからそんなことを期待しているなら裏切られることになるだろう。まあ少しの間北朝鮮はちょっとおとなしくはなるかもしれないが、彼等も馬鹿じゃないから(或いは本当に馬鹿だから)米軍は来るわけないと思ってる。だから彼等の瀬戸際外交は続くだろう。アメリカが正義の鉄槌を日本の思うとおりに振り下ろしてくれると期待するのは甘い。

日本の今やらねばならない事は、みっともない「勝ち馬乗り主義」で世界の笑ものとなるのでもなく軍事力を付ける事でもない。まず自国の経済を立て直し、確固たる経済大国の座を取り戻す事であろう。やはりお金がないと肩身は狭いし発言力もないのだ。お金がないと自立できないし行動の自由もない。アメリカを「殿ご乱心」と諫める事すら出来ない。

2003年4月1日火曜日

Le Monde : 二つの原理主義の衝突

2003.4.1
今回のイラク戦争の宗教的側面を分析した記事です。とても勉強になりました。ブッシュの行動を石油と彼のIQだけで説明するのはちょっと無理があり、説明つかない部分が残りますが、これを読めばその残りの部分が全部わかります。

Le choc de deux fondamentalismes(2003.4.1)


二つの原理主義の衝突

「十字軍」対「ジハード」? イラクの戦争が泥沼化する危険性に直面するなか、ひどく恐れられていた宗教戦争のシナリオが現実味をましてきている。一方の国では、ジョージ・ブッシュの演説では、若者に対する祈りの呼びかけや聖書が頻繁に引用され、キリスト教の典礼やドグマでこの戦争の正当化が図られている。戦争での死傷者や犠牲者が増えれば増えるほど、この種の宗教政治への偏りが多用される可能性がある。もう一方の国では、サダム・フセインは得意になって現代のサラセン戦士を気取り「神を汚す」異教徒の自国への侵略と神を持ち出してくる。サダムは決して尊敬されては居ないが、イスラムの連帯と「聖戦」を訴えるサダムの呼びかけは、アルジェリアからパキスタンまで、カイロからテヘランまで、広くイスラム社会に反響を及ぼしている。これは9月11日事件の時以来予測された事だ。こういうあくどい手法を用いられては、三つの一神教を生んだ東洋においては、神の名前や宗教的主題に身を震わすこと以外はないのである。

父親が国教徒であり、ジョージ・ブッシュJRは米国統一メソジスト教会に属している。副大統領のディック・チェイニーもそうだし、ホワイトハウスの人事担当責任者アンドリュー・カードもそうだ。コンドリーサ・ライスは彼女自身牧師の娘である。国防長官ドナルド・ラムズフェルドこそどの宗派にも属しては居ないものの、アメリカの運命はこれらの小さな凝り固まったプロテスタント教徒の手に握られていると書きたい誘惑に駆られる。事実、ジョージ・ブッシュは人を改宗させる事に情熱を注ぐ。祈祷は彼の日常生活に組み込まれている。彼は「新たに生まれた」とする分派に属し、洗礼により第二の命を与えられてと考える分派であるが、これが「バイブル・ベルト」と呼ばれる米国南部を中心に居る7000万人の信者の心をつかむのである。

宗教的「ポピュリズム」

洗礼「福音書教徒」もしくは「ペンテコステ」と呼ばれるキリスト教のネオ原理主義は、アメリカにおけるすべての「蘇生主義」に根ざしている。これはアメリカ南部やヨーロッパ、更にアジアやアフリカにまで広がっており、社会学者ハーベイ・コックスのような専門家によれば「21世紀の新興宗教」となりつつある。この「ポピュリズム」は世界の不安定さへの反動として、経済発展と共に都市部の匿名層にも増加しつつある。テレビなどによる布教をし、伝統的なキリスト教のやり方である牧師、司祭を通じての神との対話というやり方を取らない。聖書の言葉だけをまさに文字通り信じて、人間嫌悪や死刑を正当化し、堕胎を禁ずるのである。「改宗者」は小さな「エリート」サークルに入るものと信じられている。世界は「善」の力と「堕落」や「退廃」や「蒙昧」のの力に二分割されているとのマニ教的な世界観を持つ。この「堕落」と「蒙昧」こそがしばしばイスラム教と見なされる。9月11日以降、説教師のパット・ロバートソン、ジェリー・ファルウエルなどが、「犯罪者」マホメッドという汚い言葉でイスラム教を攻撃してきた。

メシア的使命感

この原理主義がイラクに対する戦争においてアメリカを動かしていると信ずる事はもちろんグロテスクな事である。この原理主義のネオ保守主義者で固めた政治への影響ということだけでアメリカの介入理由をすべては説明できない。しかしキリスト教社会において一つの亀裂が生じ始めている事は事実である。ローマ法王を始め、プロテスタント、オーソドックス、国教会などはほとんど全員一致で戦争反対を言っている。アメリカにおいてさえ、南部バプチスト協会連盟(1600万人の信者)をのぞけば、ブッシュが所属しているメソジスト教会を始めすべての教会が戦争に反対しているのだ。

しかし深層部のアメリカにおいては、9月11日の惨事に揺さぶられ、「神を信ずる」と書いたドル紙幣のように強力なシンボルを求め、アメリカこそが「道徳的に普遍的な国家」でありその役割を全面的に肯定する傾向が、自分自身をして、フランスのアメリカ・プロテスタンティズムの研究者セバスチャン・ファースが言ったように「神が宗派を越えてアメリカを一つに正当なものとしてまとめ上げている」という信念に結びついていないと言えようか。

アメリカの歴史は独特のものであり、メシア的な使命としてその国民はパイオニアである事を使命付けられており、自由こそが絶対的ドグマであり、アメリカは約束された新しい大地であり、アメリカ人は新しい選民である。ジョージ・ブッシュJRは決してこのようなメシア的役割に従った最初の大統領ではない。ロナルド・レーガンは「悪の帝国」と戦った大統領だったし、ジミー・カーターは、南部バプティスト教徒であり、サウジアラビアのワハビイズムを、イランのシーア派に比してよりプロテスタント的だとの理由で(イスラムのプロテスタントだとして)、寛大に扱った。多くの観察者は、1991年の第一次湾岸戦争において、アメリカの新教徒(福音書派)と、聖地の守護者でありイスラムのピューリタンでありすべての神と人間との間の司祭的仲介を拒絶するサウジアラビアとの間で、バイブルと鉄砲の「聖なる同盟」(スリマン・ゼギドールの言葉)が存在した事を見たのである。今日においても、歴史的な要因とか戦略的利害関係を越えて、アメリカともう一つの「神の民」であるところのイスラエルとの数多くの繋がりに驚かざるを得ない。イスラエルとエルサレムを死守するという使命感に燃えパレスティナ人を敵視するメシア的なキリスト教徒は、聖書におけるヘブライ人とフィリスタン人やカナネー人との対立を思い起こさせるものである。

このプロテスタント原理主義とイスラム原理主義の対立はキリスト教徒とイスラム教徒の歴史的な敵対関係を新たに呼び起こすものなのか。事実、この戦争は歴史の所産である。むしろモハメッド・アルクーンが『マンハッタンからバグダッドへ』で書いたように「神話の歴史」と言った方がいいかも知れない。この本に書いてある十字軍の話や侵略の戦争が、21世紀の今再び、聖なる制度を守るためにお互いを否定し合う「聖なる戦争」として燃え上がると想像するとやりきれない事である。

過去における、ナセル主義にならった初期のパレスティナ人の反乱や、アルジェリアの独立運動、アラブの抵抗などは大きなナショナリズムの時代の流れに沿ったものだ。しかし今日においては、世俗の理屈こそ付けられてはいるものの、本当のところは、宗教こそがフラストレーションが溜まったアラブ社会における行動を規範する中心的イデオロギーになっているのである。シオニズムとか社会主義とかマルクス主義とかの世俗のモデルは風化してしまい、宗教的正当性こそが現象として権力を握り(イランのイスラム革命やイスラエルのよる占領など)すべて正統主義への復帰につながっているのである。

過程

サダム・フセインも、自分の体制は世俗体制であるにも拘わらず、紛争においては常に宗教的な装いを着せた正当性を求めた。イランとの80年代の戦争では、すでに彼はイスラム教徒の世論をねじ曲げるように操作した。ガルフ戦争の時は、ふたたびサウジアラビアを攻撃して、イスラムの聖地の守護者であるにも拘わらずアメリカのプロテスタントのしもべとなりはてたと非難した。

9月11日事件の後はイスラミズムは敗北し究極的にばらばらになってしまった。エジプトやアルジェリア、イランに始まった「長い」戦いの過程は、結局世論の動員に基づく政治権力に道を譲りイスラム主義は壊滅した。しかし「短期的な」戦いは一層過激な暴力的なものとなり、攻撃され屈辱を受けたイスラム教徒とユダヤ人と「十字軍」との間の歴史的対立を際だたせたのであるが、これもやはり行き詰まった。1981年にサダトを暗殺したが、エジプトの政治体制を転覆するまでには到らなかったし、大多数のイスラム教徒は9月11日事件を引き起こそうというような人間を支持しない。ラディカルな暴力はジル・ケペルが『ジハード』で書いたように「イスラムの領域における致命的な罠」と見なされるようになったのである。

人は「イスラムと西欧」という括りでイラク戦争を見て詳しい分析を書略してしまうことが出来ると考えがちであるが、ヨーロッパと西欧は全員一致ではない。イスラム世界自身も未だ嘗てないほどに多様化しており、ナショナリスティックに相手を非難する国もあれば、民主主義の国もあり、また一方において、「ジハード」を構築する国もあるのである。しかしキリスト教世界を席巻しつつあるアメリカの新教原理主義とイスラム原理主義は、神学的教義に基づき声高に叫ばれるビジョンが大きく違い、神聖と堕落の原始的な教典解釈に基づく論争を基礎にした宗派であり、お互いに対立するものである。この戦争が宗教戦争の様相を呈するのはもちろん今すぐにという事ではないし、確定的な事でもないが、将来に予見しがたい結果を引き起こす消し炭(オキ)のようなものとして存在するのである。

Henri Tincq

・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 01.04.03